漢字たくさんのタイトル。しんばんうたざいもん・けいせいはんごんこう、と読む。久しぶりの文楽鑑賞。
文楽って言うと敷居が高いとかちょっと難しそうとか、そんなイメージがある方も少なくないと思うが、正直私は歌舞伎よりもリラックスして楽しめる。歌舞伎も本来は庶民のためのエンターテインメントだったはずが、現代ではハイソサエティの香りがする芸術鑑賞になってしまった感がある。役者がスターなのは今も昔も変わりないけれど・・・。良いお席はチケットも高い。なので歌舞伎はもっぱら映像鑑賞になってしまった。
そして、どうにも苦手なのが能・・・好きな方がいたらすみません。
苦手と言いつつこれまで3度ほど鑑賞しているが、息をするのも憚られるあの空気。観ているだけなのに最初から最後までものすごい緊張感を強いられている気がして。それに、観客的に盛り上がりの楽しみがないのもネック。美しい~と思うことはあっても、楽しい〜と思ったことはない。もっと勉強して鑑賞すれば楽しめそう?いや、多分もうあの空気感自体が苦手なんだと思う。ストーリー的に好きな演目はあるのだが、足が向かない。
それに比べて文楽はまず単純に、人形劇であることが大きい。語りである浄瑠璃は確かに演目によっては私もストーリーの予習をした上で字幕を見ないとわからない(字幕を見てもわからない時すらある)のだが、人形のおかげで楽しめるといえよう。「それでもなんか小難しい感じがする」と思う方には、今すぐNHKドラマ「ちかえもん」鑑賞をおすすめしたい。
歌舞伎好きはいても、文楽好きって自分の日常の行動範囲には存在しないくらいレアなのだが、ルーテシア仲間にいたこと自体が奇跡。妹さんにチケット手配をお願いし、一緒に観劇。お席も毎回、義太夫&三味線の前で、迫力ある語りと音を堪能することが出来る。以前自分で手配したチケットで鑑賞した時はお人形しか見えないような席で、悪くはないけど非常に物足りなかった。なので、とてもありがたい。
文楽鑑賞で唯一残念なのは、通しではなかなか観られないことか。舞台の物語は唐突に始まることが多いので、その前には一体何があったのか、あらすじに目を通しておく必要がある。
1本目の「新版歌祭文」(野崎村の段)は、簡単に言うと三角関係のお話。
大店で丁稚奉公をしている久松(イケメン)。その大店のお嬢様、お染(美人。帰宅した彼を追っかけて来ちゃうほど情熱的)。久松と血の繋がりのない妹のお光(チャキチャキ系)。
このイケメン久松くんを巡って女2人のバトルが垣間見られるのだが、久松の子を身ごもったお染は絶対に彼と別れられず、心中をほのめかす。逆に親が許嫁と決めたお光がいきなり尼になって身を引く、という段。
このお光ちゃん、「ああ!昔から大好きだった久松くんと夫婦になれるなんて!!」と夢見心地→祝言の日にお染登場→女バトル→2人を死なせたくないから私が尼になって身を引くわ・・・と、観ているこっちが唖然とするほどの態度の変わりよう。いいコだと思うが、同情するには唐突過ぎちゃって。
2本目の「傾城反魂香」(土佐将監閑居の段)は、絵師のお話!
皆さんも城(または時代劇)などで一度は見たことがあろう、金箔に松やら獅子やら描いてあるド派手な障壁画というスタイルを確立した狩野元信絡みのお話なのだけど、この段は土佐派の絵師のお話。この又平を操るのは文楽界きってのダンディ、桐竹勘十郎さま。又平は三枚目だが、勘十郎さま自体は今日もイケオジぶりが眩しい。ついつい人形遣いである勘十郎さまに目が行ってしまう。
自分より若い弟子が活躍し、師匠に土佐の名前を与えられているのを見て、又平は「師匠!僕も土佐の名字が欲しいよ!」と師匠にお願いするも、「お前実績ないだろ」と断られて。又平は元々吃音がひどいのもあって、ちょっと気の毒な立場。だが、最後には又平に様々なミラクルが起こり素敵なハッピーエンドが待っている。幸せな気持ちで見終わる物語だったが、是非通しで観てみたい作品。
またこの日は「竹本津駒太夫改め六代目竹本錣太夫襲名披露狂言」となっており、錣太夫さんの義太夫を堪能。こうやって未来永劫、この素晴らしいニッポンの伝統を受け継いで行って頂きたいと心から願った。にしても、三味線が2つになった時のあの興奮は一体なんなんだろう。「くるぞくるぞ〜」というワクワク感。ハーモニーになるからだろうか。
ちなみにハードルの高い伝統芸能には、落語もある。
江戸時代の知識がないとなかなか頭の中でイメージするのが難しいのだが、わかるととても楽しい。落語もいずれ生で楽しんでみたい。